1987年ジャックウルフスキン日本上陸とウルフハウス創立のヒストリーです
<出会い>
新宿にありましたスポーツショップに勤務していた時、のちにジャックウルフスキン日本代理店となる(企業の登山靴の展示会がありました。
帰りがけに、ふと階段の片隅に置かれていたウェアが目に留まりました。
置かれていた商品はサンプルでしたが、
日本では見た事の無い配色・色彩・デザインに強烈な衝撃を受け、是非このプランドを日本中に広めたいと思う心を抑えきれませんでした。
時企業Cはジャックウルフスキンの日本代理店になるかは未定でしたが、日本代理店となるならば退職してでも販売したい旨を申し入れました。
<徹夜でコピー>
その数か月後、(企業の代理店契約が正式に決まりました。
しかし、すぐに会社を辞めることができず、
また、全く知名度が無いプランドの為にまずは通信販売を行う事にしました。
無理を言って友人の事務所を借りて通販売の準備を退社後にする毎日でした。
ジャックウルフスキンのカタログが1冊しか入手できず、毎晩泊りがけで白黒のコピーカタログを作り、某雑誌を通して興味があるお客様にお渡ししておりました。
カタログが白黒である為に、カラーの問い合わせには大変苦労致しました。
製品はジャック特有のカラーが多く、黒とグレーの中間色のややグレー寄り?といったやり取りで、お客様も良く納得してお買い上げ頂いたと感心をいたしました。
<通販>
当時はネット等はなく、通販のお申し込みはFAXか電話でした。
すぐに使いたいと名古屋から新幹線に乗り、東京駅の改札でテントをお渡しした事もありました。
通販は徐々に増えてきましたが、商品を手に取って見たいとの声が増え続け、手応えを感じ店舗を出す事にいたしました。
何件もの不動産屋を回っても予算が合わず、疲れ果ててラーメンでもと入った店は満員で奥の狭い座敷に案内されました。
そこに茶色く変色した雑誌が積まれ、その中に物件案内の雑誌があり、吉祥寺に格安の物件を見つけました。
古い情報の為半信半疑でしたが、一か八か電話をしてみました。
借りられました。
吉祥寺駅より徒歩5分程、
電話での道案内も楽でしたので6坪の物件を借りました。
<ウルフハウス吉祥寺店一人きりでの開店>
開店より1年間は無名ブランドの為、泣きたくなるような毎日でしたが、商品品質には絶対の頼がありましたので挫けませんでした。
ジャックウルフスキンという無名ブランドを半半疑で買ったお客様が
2回3回来店する様になり、ジャックウルフスキンファンが徐々に増えてきました丁度、アウトドアプームに火が付きはじめ、雑誌等にウルフハウスが紹介されました。
商品が納品されると、居合わせたお客様が値札付けを手伝ってくれたりと、
5人入れば満員のアットホームな店舗でした。
狭い店舗で5年間営業してきましたが、商品アイテムが増え続け、天井の点検口を開け、そこに在庫を入れる事もありました。
商品が満杯状態となり井の頭公園手前の現在の店舗に引っ越しをしました
7年間お世話になりました店舗はアウトレット店としてオープンしました。
アウトレット店オープンより2年後、
現在の店舗の通りを挟んで斜め向かいに空き店舗を見つけ、アウトレット店を移転しました。
<北海道・札幌支店>
スタッフの中に札幌出身者がおり、毎日北国の話を聞かされておりました。
ドラマ「北の国から」の影響もあり、出店の機会を伺っておりましたが、現地で働くスタッフが見つからず断念した矢先に、偶然の出会いにて出店が決まりました。
その出会いとは、何度かお客様としてご来店して頂いていた学生に「1年間休学して北海道で働かないか」と冗談交じり話しをしていました。
すると数日後に来店し、お願いしますと一言、承諾して頂いた事に驚きました。
店の看板などはハンドメイドで作り上げ、味わいのある店舗で順調な出足でした。
しかし2年後、北海道拓殖銀行が経営破綻し極端に売上が落ち、札幌ファクトリー店出店を機に撤退いたしました。
<代理店変更>
22年間、ジャックウルフスキン日本代理店であった(企業が代理店契約を結ばず、日本への入荷が完全に閉ざされてしまいました。
順調であったアウトレット店も商品の手配がつかず、泣く泣く閉店いたしました。
(企業が持っていた在庫を大量に仕入れ、
1年間はお客様へ商品の供給ができましたが、その在庫も1年程で底をつき始め、廃業を考えている矢先にドイツ本国より連絡がありました。
「何とか日本でのジャックウルフスキン製品の販売を続けて欲しい」との事で、
T企業を通してび商品を仕入れる事ができる様になりました。
しかしながら僅か5年足らずでT企業は代理店契約を解約いたしました。
<再び代理店変更 ジャックウルフスキンジャパンの設立>
本国ドイツから社長・副社長が次の日本代理店を何処にするかの相談の為にウルフハウスに来店し、再びC企業が日本代理店を務める事となりました。
ジャックウルフスキンは一時期日本を撤退していましたので、心機一転再スタートとなりました。
順調に知名度も上がり、軌道に乗ってきた矢先、ジャックウルフスキンのM&Aにより、ジャックウルフスキン・ジャパンが設立されました。
約5年間代理店を務めた企業との契約は解約され、ジャックウルフスキンは生まれ変わりました。
従来、サイズはヨーロッパサイズであった為に、日本人にはサイズが馴染まない事もありました。
2020年より日本人の体格に合う商品を、日本独自にデザインしました。
従来のジャックウルフスキンとは違う、新鮮なカラー・デザインの商品を作り始め、昔懐かしいカラーも登場し、昔からファンでいて頂いているお客様から若いお客様まで、幅広く愛用頂けるようになりました。
日本にジャックウルフスキンを持ってきた「ウルフハウス」を今後とも宜しくお願いいたします。